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キリシタン紀行~「世界遺産」候補の里を訪ねて

 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、世界文化遺産の登録候補を載せた「暫定リスト」に追加掲載されることになった。県などが提案書に盛り込んだのは五市二町の教会や遺跡20カ所。弾圧・迫害の歴史や信仰の喜びを今に伝える長崎固有の文化遺産の姿を、地域ごとに紹介する。(2007/02-2007/03 西日本新聞・長崎版に連載)

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長崎市 空によみがえった十字架

■殉教と「発見」の舞台 250年の弾圧に耐えて

 長崎市であった2つの事件の知らせは世界を駆け巡り、カトリック総本山のローマ法王にも届けられたという。

 1つは豊臣秀吉の命令で京都や大阪で捕らえられた宣教師ら計26人が長崎で処刑された「26聖人殉教事件」(1597年)。もう1つは、約250年の弾圧に耐えた潜伏キリシタンが完成直後の大浦天主堂で信仰を告白した「信徒発見」(1865年)だ。

 禁教が解かれたのは「信徒発見」の8年後。長崎に信者が戻り、空に教会の十字架がよみがえった。

■ローマ法王が涙

 長崎市南山手町にある国宝の大浦天主堂。ふだんは観光客でにぎわう天主堂で年2回だけミサが続けられている。クリスマスイブの12月24日と「信徒発見の祝日」の3月17日。信者の祈りが日本最古の天主堂を包み込む。

 1864年12月に完成しフランス寺と呼ばれた大浦天主堂。3カ月後、浦上村の農民数人が天主堂を訪れ、その中の女性がプチジャン神父にささやいた。

 「ワタシノムネ、アナタノムネトと同じ」

 「サンタ・マリアの御像はどこ?」

 歴史に残る「信徒発見」の瞬間。目の前に現れた信者に神父は感激し、女性らとのやりとりを詳細に記録した。当時のローマ法王は知らせを受け涙を流したという。

 鎖国が解かれても、禁教は続いていた。身の危険を顧みず、信者らが探し求めたマリア像は今も天主堂で来場者を見守っている。

 天主堂を訪ねた信者の1人「てる」のひ孫、森内秀雄さん(87)=長崎市大橋町=は「キリシタンだと打ち明ければ命が危険にさらされた時代。今では想像もできない。でも、てるばあさんの信仰を受け継いだことを誇らしく思います」。

大浦天主堂

 潜伏キリシタンが訪れることを期待し、正面には漢字で「天主堂」と記された

「信徒発見」のマリア像

 142年前の「信徒発見」の日と同じように訪れる人たちを見守っている

旧羅典神学校

 日本人神父を育てるため、1875年に建てられた木骨れんが造りの神学校。国の重要文化財。大浦天主堂(右)の隣にあり、1階はキリシタン資料室になっている

■600人を処刑

 大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」。長崎で処刑された26人は1862年に聖人に列せられ、天主堂は殉教の地「西坂」がある北に向いて建てられた。

 十字架をかたどった記念碑が立つ長崎市西坂町の「日本二十六聖人殉教地」(県史跡)。西坂は長く死刑執行の場として使われ、記録に残っているだけで約600人のキリシタンが棄教を拒み殉教したとされる。

 1981年に殉教地を訪れた前法王の故ヨハネ・パウロ二世は記念碑の前で祈り「信者は長崎で死んでいきましたが、長崎の教会は死ぬことはありませんでした」と信者らに語りかけた。

 前法王は隣接する日本二十六聖人記念館にも足を運び、26人の列聖を伝える当時のバチカンの新聞記事などを食い入るように見て回った。

 同記念館の初代館長で前法王を案内した結城了悟さん(84)は「浦上の潜伏キリシタンが信仰を守れたのは、ここで殉教した人たちのことを思ったからではないか」。最期まで教えを説き祈り続けた日本26聖人をたたえる教会は、欧州や中南米など世界のあちこちに立っている。

二十六聖人記念碑

 十字架で処刑された26人が祈りをささげる記念碑。後方では、日本二十六聖人記念聖堂の双塔が天を指す

■苦難物語る地層

 長崎市で最初の教会「トードス・オス・サントス教会」が建ったのは1569年。南蛮貿易が盛んになるとキリシタンの町づくりが進んだ。キリシタン大名だった大村純忠がイエズス会に土地を寄進した1580年以降、宣教師たちは競うように教会や福祉施設を建てた。最盛期には、10を超える教会が長崎にひしめいたとされる。

 しかし、教会の繁栄は長くは続かない。徳川家康が禁教令を下すと、教会は破壊され、信者の姿は町から消えた。

 長崎市勝山町にある「サント・ドミンゴ教会跡」は教会を壊し代官屋敷が建てられた場所。教会当時の地層から十字架をあしらった「花十字紋瓦」などが出土し、教会の隆盛を今に伝えるが、その上に積み重なった遺跡や地層が、長崎のキリシタンが歩んだ弾圧の歴史を物語る。

 59年前にスペインから来日し、キリシタンの歴史を研究している結城さんは「殉教者たちが実践した『自分を殺そうとする人を愛しなさい』という教えは、戦争やテロが絶えない現代でも色あせない」。

 長崎のキリシタンの歴史は世界にメッセージを発信し続ける。
(長崎総局・宮崎拓朗)

 =おわり

サント・ドミンゴ教会跡

 手前の石組みの遺構から「花十字紋瓦」などが見つかった

 大浦天主堂は、JR長崎駅前から正覚寺下行き路面電車に乗り、「築町」で石橋行きに乗り換え「大浦天主堂下」下車、徒歩約5分。旧羅典神学校は大浦天主堂に隣接している。
 日本二十六聖人殉教地はJR長崎駅から徒歩約5分。
 サント・ドミンゴ教会跡資料館は長崎市役所近くの桜町小学校敷地内にあり、午前9時から午後5時まで見学できる。月曜日休館。