2008年03月21日更新
館内に数え切れないほど展示されている犠牲者の遺影。後ろ手に縛られている人が目立つ
反革命分子やスパイを見つけるための拷問台。台の上に金具で縛り付け、じょうろで水をかけたという
カンボジアの首都プノンペンの気温は30度。熱帯の空気に包まれているのに、4つある展示棟に入るたびに寒けを感じた。
トゥールスレン虐殺博物館は学校を改装した政治犯収容所跡。1975‐79年のポル・ポト政権下の惨事を伝え“東洋のアウシュビッツ”と呼ばれる。
私有財産や通貨の廃止、都市住民の農村強制移住など特異な革命論を掲げたポル・ポト。医師や教師などの知識階層をはじめ、多くの人民が反革命分子とみなされた。犠牲者数は諸説あるが、親族26人を殺された現地ガイドのソワンさん(43)は「強制労働や処刑で人口800万人のうち約200万人が死んだ」と語る。
最初の展示棟A棟は尋問室。がらんとした教室跡の真ん中にさび付いた鉄製ベッドがあった。手かせや足かせが残り、壁には同じベッドの上に血まみれで横たわる遺体の写真がある。「床のしみは血の跡です」。ソワンさんに足元を指され、動けなくなった。
B棟に入ると、数え切れないほどの顔写真がこちらを見つめていた。若者から老人までの男女と幼児。犠牲者の遺影だった。次の部屋も、その次の部屋も写真で埋め尽くされていた。
どれも無表情なのは、写真を撮られたら殺されると分かっていたから。絶望の顔。黒服にスカーフ姿のポル・ポト派兵士の写真も目立つ。内なる粛清も繰り返されたのだ。この収容所に入れられたのは記録が残るだけで2万人。生還者は7人だけで、ほとんどは「キリング・フィールド(殺りくの野原)」で処刑され、穴に埋められたという。
別の部屋から悲鳴が聞こえた。見学中の白人女性が失神し、倒れたらしい。
C棟は教室を細かく仕切った独房跡。最後のD棟には水責めや、つめはぎなどに使った拷問器具と再現図、そして犠牲者の頭(ず)蓋(がい)骨が並ぶ。建物を出ると空の青さに目がくらんだ。
狂気と残酷。目をそむけてはならない歴史がある。そんな感想を伝えるとソワンさんは言った。「ここに日本人はめったに来ない。アンコールワットが人気です」
(社会部・坂本信博)


トゥールスレン虐殺博物館の入場料は米国ドルで2ドル。ポル・ポト政権時代の生存者の体験談をまとめた記録映画などが定期的に上映されている。映画「キリング・フィールド」の舞台となった場所は、プノンペンから南西約12キロの農村チュンエクにある。