2010年07月07日更新
外壁がはがれ落ちている「軍艦島」のアパート群。部屋の中には冷蔵庫など生活用品が今も残っているという

海上から望む端島。林立する建物が「軍艦」を想起させる
海上から望む島影は、確かに「軍艦」に見えた。
長崎市沖に浮かぶ端島(通称・軍艦島)。かつて炭鉱で栄え、閉山後に廃虚と化した無人島は、2008年に九州・山口の近代化産業遺産群の一つとして世界遺産国内候補となった。昨年4月には長崎市が島に見学通路などを整備して、島への上陸を解禁。廃虚に光が当たり、“観光地”としてよみがえっているという。出掛けてみた。
長崎港を出港して50分。軍艦島の南側に整備された桟橋に船が着いた。周囲1・2キロの小さな島に、「軍艦」をかたどる建物群が密集していた。
鉄筋コンクリート造りでは国内最古のアパートと、島の子どもが通った小中学校はともに7階建て。大正期から昭和30年代にかけて建築された約40棟が林立し、炭鉱マンが出入りした立て坑の桟橋も残る。
「耳を澄ましてください」。案内をしてくれたNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳さん(56)が、真新しい見学通路の途中で立ち止まった。島にわずかに残る木々から、鳥のさえずりが漏れてきた。島を囲む高さ5メートルもの岸壁のせいなのか、波の音は聞こえない。無論、人の声も-。
「多くの建物がありますが、今は誰もいない世界なんです」。坂本さんが口を開いた。鉄筋がむき出しの建物群。崩れ落ちたがれきの山々…。坂本さんが念を押すかのように続けた。「36年前からずっと、この島に人は暮らしていないんです」。密集する建物群の威容と、朽ちた姿の異様さが、島の盛衰を物語る。
海底鉱山が広がることから、石炭の掘り出しが明治中期から始まった軍艦島。1960年代には5千人以上が住み、日本一の人口密度を誇った。学校、映画館、商店街…。島民の暮らしは小さな島の中で完結した。だが、国策によるエネルギー転換の荒波は、国内各地のヤマと同様に島にも押し寄せた。74年に閉山し、全員が島を去った。
見学通路の全長は220メートル。当時のブラウン管テレビや冷蔵庫が残るアパートに立ち入ることはできないが、元島民の坂本さんをはじめ計7人のスタッフが島の栄枯を解説する。長崎市によると、上陸解禁後1年間で、当初見込みの3倍の5万8千人が島を訪れたという。
約30分の案内を、坂本さんはこう締めくくった。「一つだけで構いません。島のメッセージを感じてください」。もう一度、耳を澄ました。日本の近代化を担った島民たち。森閑とした廃虚から、今度は、豊かさに彩られた往時のにぎわいが聞こえてきた。
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●ちょっと より道=伊王島で旬の食材堪能

軍艦島のある長崎市では官民問わず、国内に誇る産業遺産を観光資源に生かそうという機運が盛り上がっている。
長崎港と軍艦島の間に浮かぶ伊王島は、南欧風の街並みが特徴。そこにある民間リゾート施設「長崎温泉やすらぎ伊王島」は、伊王島-軍艦島間を運航する「高島海上交通」と業務提携。軍艦島クルーズを組み込んだ1泊2日のプラン(1万9800円)を販売し、長崎産の旬の食材を使った料理を提供中。高島海上交通は8月1日から、石炭をイメージした新造船「ブラックダイヤモンド」(定員200人)を就航させる。
NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」も、同リゾート施設が取り組む軍艦島観光ガイドの養成に協力している。

