2011年04月04日更新

江代山の山頂に立つ小川弘志さん。広がる眺望が見事だ

江代山の頂上近くで春を告げるマンサク

一帯がこけむした岩で占められたセンツキ谷
宮崎県椎葉村の中心部・上椎葉地区から車で約1時間。慎重にハンドルを操って峠を越えると、谷あいに民家が散在する大河内地区に着く。ここは、柳田国男に日本の民俗学を興すヒントを与えた土地。また、住民が「大河内森林ガイドの会」(椎葉孝一会長)をつくり、森林を生かした有料ボランティアガイドに取り組む地域だ。同会事務局の小川弘志さん(59)に、取って置きの“幻の名山”の案内を頼んだ。
目指すは熊本県境にある江代(えしろ)山(津野岳、1607メートル)。風は冷たいがカラリと晴れた朝、同村の矢立高原キャンプ場から九州大学宮崎演習林の中の登山道をたどった。
演習林は、植生回復試験のため教育・研究以外は立ち入り禁止。同会メンバーは、九大の設けるインストラクター制度の資格を取得。入山の都度、許可を得る。宮崎県側から江代山に登るには、ほかに馬口岳からの縦走しかなく、それが“幻”と言われる由縁だ。
戦後、国道の整備計画が立ち消えになった林道から人工林に入り、大きな霜柱をザクザクッと踏み締める。やがて自然林に変わると、落ち葉が積んだ優しい道になる。
「ホオノキの葉は殺菌作用があり川魚料理の皿に使います」「カナクギノキは硬いため木くぎにします」「ノリウツギは和紙を作る際にコウゾ、ミツマタと混ぜて繊維を固める接着剤」。道沿いの木々には名前を記したプレートが添えられ、木に関する生活の知恵を聞きながら楽しく進む。この辺りでは、九州ではなかなかお目にかかれないブナやモミ、ツガ帯も見られるという。
頂上近くで、春を告げるマンサクの黄色い花が迎えてくれた。山頂やその周辺からは市房山や仰烏帽子(のけえぼし)山、白髪岳など九州山地のパノラマを展望。空気が澄んだ時期は、雲仙・普賢岳も望める。
休憩後、センツキ谷に下りる。こけむした岩がおとぎの国のようで、屋久島の森を連想させる。新緑のころには若葉との競演で、顔が緑色に染まって見えるそうだ。
「作られたものではない、こんな大自然の中に浸ると、これが本来の在り方と分かります。生活のありようを見直すきっかけが見つかるかも」と小川さん。野鳥のさえずりと、渓谷のせせらぎだけが聞こえる静かな空間。早春の江代山に癒やされた。
× ×
●豊かな心 見詰めた柳田国男
「民俗学発祥之地」の碑と綾部正哉さん
柳田国男は1908年の椎葉村への旅をきっかけに、わが国初の民俗学の書「後狩詞記(のちのかりことばのき)」を著した。同村の大河内地区。川沿いに「旧椎葉徳蔵邸跡」の標識がある。当時の村議宅で見つけた狩猟文書「狩之巻」に柳田は心を打たれ、後狩詞記につながった。谷が深い一帯は雨が降ると水が出る。椎葉邸は54年に流失、狩之巻も失われた。
村役場がある上椎葉地区から車で約20分の柳田国男ゆかりの地は、柳田の案内役を務めた中瀬淳村長(当時)の邸宅跡だ。庭先に「民俗学発祥之地」の記念碑がある。
現在は、元教員で宮崎県教育委員会幹部だった綾部正哉さん(70)が暮らす。いじめや不登校、非行など社会問題が子どもの世界をむしばんでいるのに心を痛め、教職員の研修などをする「椎葉綾心塾」を主宰。全国からの受講者は10年で1200人を超えた。
「柳田は、ここが日本の文化の原点とピンときたのでしょう」。綾部さんは、物質的には豊かなのに心を失ったかにみえる現代人と、柳田がかつて見た豊かな心がある暮らしを比べる。「彼は人間らしい暮らしを見詰める学問を始めた。スローライフの動きにも通じる」。おいしいシイタケ茶をいただきながら、話は絶えなかった。

