西日本新聞

釜の穴

人間写真館 喜怒哀楽を切り取り半世紀 写真家・崔敏植さん

縄跳びで遊ぶ少女たち(1978年)。「背後のバラック小屋のような場所はもうほとんどなくなったね。でもこの子たちは結構いい服を着ているから比較的裕福な家の子どもたちだよ。まだまともな服を着られない子どもも多かった」(崔敏植さん)

 釜山の庶民の暮らしを1950年代から半世紀以上、レンズで追い続けている写真家がいる。崔敏植(チェミンシク)さん(83)。市場や酒場、路地裏などで人々がのぞかせるさりげない表情を切り取った彼の写真の数々は、釜山の現代生活史そのものだ。 (釜山・内門博)

 崔さんは日本の植民地時代に現在の北朝鮮側で生まれた。朝鮮戦争が休戦後間もない55年には日本へ渡っている。当時は日韓に国交がなく、いわゆる密入国。妻と子供は韓国に残したままの決行だった。流ちょうな日本語で振り返った。

 「デザインを勉強したかった。三十数人で釜山からの船で出航したが、入国できたのは僕ともう1人だけ。あとはみんな捕まった」

崔敏植さん 山本敏雄の日本名で東京の美術専門学校へ。当時は寛容な時代で、学校側も一緒に学んだ同級生も自分の素性を知っていて黙認していたという。写真に目覚めたのは古本屋で、米国の写真家、エドワード・スタイケンが企画した世界中の人々のスナップ写真を集めた「人間家族」を手に取ったときだった。「写真を通じてこんなに人生を切り取れるものかと驚いた。僕も人の息遣いを伝えたいと思った」

 57年に再び密ルートで韓国に戻ると、釜山を拠点に写真家活動をスタート。「まだ米国の支援で人々がやっと暮らせていたころ。みんな貧しかった。でも人々の表情は豊かだった」

露店食堂で何やら話し込む男性2人(1998年)。「僕は屋台やら市場やら食べ物があるところで撮影することが多い。そういうところが人のにおいも一番するからかな」(同)

 彼の写真は一貫してモノクロ。軍事独裁から民主化、通貨危機…時代は目まぐるしく変化しているが、彼の視線はぶれない。50年代の写真も90年代の写真も、人々の喜怒哀楽が同じように表現されている。「僕は人の“におい”がするところしか撮らない。きれいな風景には興味がないね。チャガルチ市場とか、釜田市場とか、そういう場所ばっかりだよ」

 福岡市在住の韓国人写真家の沈佑〓(〓は「火」に「玄」)(シムウヒョン)さん(38)は「彼の仕事は日本でいえば、同じように庶民の暮らしを切り取った福岡出身の井上孝治さん(1919―93)に近い」とみる。いつか釜山と福岡で両氏の共同企画展が実現するのを期待したい。

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 「ヨロガジ」とは韓国語で「いろいろ」「あれこれ」の意






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うなだれる男性(1959年)。「当日は失業者もたくさんいた。仕事にありつけなくてがっくりきていた男性が下を向いてぼうぜんとしているところにカメラを向けた」(同)

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