西日本新聞

西日本新聞 医療・健康

連載・続・楽しい患者ライフ(波多江伸子)

<24>昭和30年代の食卓と駄菓子

[更新日時]2010年09月06日

 今朝食べたものは忘れてしまうのに、子どものころの食べ物のことは、形状や微妙な味までまざまざと思い出せるのは、年を取った証拠なのでしょうか。最近、私はよく、昭和30年代の、小学生時分の食卓の光景や、大好きだった駄菓子のことを思い出します。

 「あのころは良かった」と昔のことを美化するつもりはありません。昭和30年代の食事は、野菜中心の和風な「粗食」で理想的だったなどと言われていますが、どうでしょうかね。開発されたばかりの食品添加物や人工甘味料などが無造作に使われていましたから。豆腐は、AF-2と呼ばれる発がん性の強い防腐剤入りの水に入っていましたし、清潔志向の団地の母親たちは、回虫の卵を殺すために生野菜を中性洗剤の液につけたりしていました。そのころの日本人は「化学薬品」に関して、あこがれに似た信頼を抱いていましたからね。

 さて、私のお気に入りの駄菓子は、紙芝居屋のおじさんから買う水あめと甘辛く煮たイカのゲソ。母は白玉団子やクッキーなど手製のおやつをこまめに作ってくれるのですが、そんな上品なものより、舌がしびれるような真っ赤なニッケ水が何ともいえず好きでした。

 近所にアメリカ人の一家が住んでいて、そこの金髪の女の子とよく遊んでいたのですが、その子の身体からはミルクとバターのにおいがしました。夕方、アメリカ人の台所から漂ってくるえも言われぬ良いにおい。それが牛肉のステーキのにおいだと知ったのは、ずいぶん後のことです。あのころ、わが家でステーキといえばクジラ肉に決まっていましたから。牛肉はぜいたく品でした。バナナも病気のときにしか食べられませんでした。

 第1次ベビーブーマーの私たちは、どこへ行ってもたくさんの同じような年格好の子どもたちと一緒です。学校でも、動物園でも、デパートの屋上でも、大声で自己主張をしていました。黙っていたらそこに居ることさえ忘れられますから。家々の軒先には古浴衣をほどいて作ったおむつがはためき、夏はあせもをこしらえた赤ん坊がタライで行水をしていました。子どもがたくさいて、騒々しくてエネルギーに満ちあふれた時代でした。その私たちとともに日本という国が老いていく今、せめて、数少ない子どもたちを虐待したり殺したりしないで、みんなして、大事に守り育てたいものです。
(はたえ・のぶこ=福岡市城南区)

【写真説明】けんしょう炎になったので、今年は栗の皮むきができません。栗ごはん、炊きたいのですけど

=2010/09/06付 西日本新聞朝刊=

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