■「ファミリーハウス」広がる輪 ボランティアや資金不足も
日向灘に注ぐ川沿いの住宅街。宮崎市にあるマンションの一室が、昨年10月に宮崎に初めてできたファミリーハウスだ。南向きの6畳間が二つ。持ち主が無償提供にもかかわらず改装してくれたため、室内は明るい。台所には炊事道具、洗濯機もある。
「ドアを開けたとき、自宅に戻ってきたかのようにひと息ついてもらえれば」
そう話すのは運営に当たる吉野智子さん(42)。白血病だった次女を2歳7カ月で亡くし、6日で丸5年となった。福岡市の九州がんセンターで骨髄移植を受けた後の合併症だった。
わが子が病になれば、親としては最善を尽くしてあげたい。しかし専門の小児医療機関は限られている。自宅を離れてつらい治療と向き合う心身の負担、経済的負担への共感-がファミリーハウスを生んだ。
吉野さん自身、5カ月間の付き添い中、がんセンターのそばにあるハウス「あいのいえ」に助けられた。
病室では、次女の小さなベッドに体を折り曲げて一緒に眠る。母が交代に来てくれたときは、何かあればすぐ駆け付けられる距離のあいのいえで手足を伸ばして休憩できた。利用料は1家族1泊800円。夫と長男、長女が見舞いに来たときもそろって泊まった。
宮崎県でも高度医療を提供する病院は限られ、二重生活の家族は多い。院内のソファや車中で夜を明かす姿も珍しくない。
ハウスの立ち上げは、小児科医が物件を紹介してくれたことから。寄付金で家電をそろえ、清掃や管理は吉野さんたち女性7人のボランティアが担う。「ゆくゆくは、利用する家族が胸の内を分かち合える家に」。メンバーの牟田寿恵さん(44)の願いだ。
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ファミリーハウスは企業が社会貢献で建てたり、病院が備えたりする例もあり、福岡市立こども病院▽久留米大病院▽聖マリア病院▽熊本赤十字病院▽鹿児島こども病院-などはそれぞれ持っている。だが九州では、あくまで草の根として始まった。
あいのいえのスタートは95年11月。夫をがんで亡くした月足サナヱさん(72)=福岡県粕屋町=が、新築マンションの一室を購入して提供した。
千葉県の郵便局に勤めていた夫の寅市さんは、91年に外耳がんが分かり東京都内に入院。自宅から病室へ通うのに苦労していたサナヱさんは、新聞で病児の親のための宿泊施設を知る。「自分が死んだら家を売った金を役立てればいい」。2人に子どもはなく、夫婦の故郷・福岡でその志を実現させた。
運営に協力したのは、当時、福岡県赤十字血液センターに勤めていた徳永和夫さん(62)。徳永さんたちボランティアは「福岡ファミリーハウス」として今に至る。
同じ95年の5月に誕生した熊本市の「たんぽぽハウス」も、熊本大病院小児病棟で保育や絵本の貸し出しなどのボランティアをしていた主婦たちが、医師からマンションの無償提供を受けて始めた。
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市民による活動ゆえに課題もある。福岡ファミリーハウスが運営するハウスは現在五つ。善意とはいえ家賃や固定資産税は払う必要があったり、持ち主の事情が変わって貸してもらえなくなったりと、維持が難しい。月足さんも死後の相続を考えて70歳を機に売却したため、現在のあいのいえの持ち主は代わっている。
800円の利用料ではシーツのクリーニング代だけで赤字。寄付金が頼りだ。
掃除の人手も足りない。昨年4月には、九州大病院で売店などを運営する財団法人が、病院のそばに「森の家」というハウスを建設した。九州がんセンターも研修施設を提供。福岡ファミリーハウスがいずれも室内の掃除に協力しているが、負担は大きい。
「ファミリーハウスは高度医療機関には当たり前にあって、市民が運営にかかわるのが理想と考えるのですが」。メンバーの高原登代子さん(48)は語る。
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福岡ファミリーハウスは、気兼ねなく過ごしてもらえるよう、掃除などでも利用者と顔を合わせないよう配慮する一方、各ハウスにノートを置いている。つづられる感謝がスタッフの励みだ。
9歳の息子を亡くした母親は「ハウスを利用できたので、心を残すことなく精いっぱい看病ができた」と書き残した。次に利用した女性は「遠い空の下からお祈りしています」とつづった。ボランティアと利用者、利用者と利用者がさりげなく気持ちを交わす。そんな交流が「病院近くのわが家」を支えている。
あいのいえを利用する長崎県松浦市の森川裕子さん(39)も「何度一人で泣いたか知れません。ベランダに出て、助けてくださいと夜空にお願いしていました」と振り返る。
長男圭利(よしき)さん(17)が、がんセンターで骨髄移植を受けた3年前のことだ。本人の前では泣けない。泣くことができるのがハウスだった。圭利さんは主治医も驚くほど良くなった。今は数カ月ごとの受診の前夜に親子で利用している。
【写真説明】3階建てマンションの101号室が、宮崎に初めてできたファミリーハウス。左から牟田さんと吉野さん
=2010/03/07付 西日本新聞朝刊=




