●適正使用の指針も

「ほとんどの風邪に抗生物質は効きません」。医師からの説明を受け、戸惑う人も多いようだ。確かに、かつては風邪をひいたら抗生物質を処方する医師が多かった。風邪のさまざまな症状を緩和し、肺炎や中耳炎などの感染症になるのを予防できると考えられていたからだ。
だが、1990年代以降、抗生物質は一般的な風邪の症状緩和や感染症予防には役立たないことが国内外の研究ではっきりしてきた。感染症の専門医によると、風邪の約90%は抗生物質で治せないウイルスが原因で発症し、抗生物質が効果を発揮するのは、のどの炎症をもたらす「溶連菌(ようれんきん)」などが原因となるごく一部の細菌性の風邪にすぎないという。
そのため2000年代に入って、日本外来小児科学会のワーキンググループや日本小児感染症学会などが一般的な風邪には抗生物質を使わない指針を、相次いで打ち出した。溶連菌による風邪が疑われる場合、簡易診断キットなどを活用して同菌が検出されたケースに限り抗生物質を処方することなど、「適正使用」のガイドラインをまとめている。
●続くいたちごっこ
感染症に詳しい久留米大学医学部の津村直幹講師(小児科)は「抗生物質の使用を制限する動きは、風邪に効果がないという理由だけではないのです」と強調する。なぜなら、医療現場では薬剤耐性菌の急増という見逃せない問題が浮上しているからだ。
薬剤耐性菌とは、本来は“天敵”であるはずの抗生物質に対して、抵抗力を付けた細菌をいう。かつては「死病」と恐れられていた結核や肺炎など感染症の治療を目的に、戦後、次々に新種の抗生物質が開発された。ところが、その使い過ぎがあだとなり、薬剤耐性菌も爆発的に増加している。耐性菌に打ち勝つ新たな抗生物質を開発しても、細菌はさらに突然変異を繰り返し、より強力な耐性菌となる「いたちごっこ」が続く。
津村講師によると、肺炎の治療に用いる抗生物質「ペニシリン」が効かない耐性菌が患者から検出される割合は、抗生物質の使用を規制しているオランダやドイツで低いのに対して、使用量の多い日本やアジア各国で高い数値を示しているという。
耐性菌の増加は医療現場にさまざまな影を落としている。福岡県大川市で耳鼻咽喉科医院を開業する松田知愛院長は「抗生物質が効かない耐性菌による中耳炎の患者が年々増えている。特に抵抗力のない幼児や高齢者で重症化や治療が長期化する傾向がみられる」と打ち明ける。
医療機関で恐れられているのは、耐性菌のメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)などの院内感染。抗生物質の乱用が原因で起こるとされており、体力の弱った高齢者らに感染すると、敗血症で次々に死に至ることもある。
●患者に理解求める
にもかかわらず、患者側に抗生物質の処方を求める風潮は根強い。医師側にも「患者が抗生物質をほしがっているのに、薬を処方せず手ぶらで帰しにくい」「病院経営安定のため」などの理由で、抗生物質を処方する傾向もあったようだ。
米国小児科学会では、こうした傾向を踏まえて次のような勧告をまとめている。
「患者に対する教育」=細菌感染症(細菌性の風邪)は抗生物質で治療できるが、ウイルス感染症(ウイルス性の風邪)は決して治療できない▽抗生物質を多く処方されると、薬剤耐性菌に感染する確率が高まる。
「医師への教育」=溶連菌(細菌性の風邪の原因)によるのどの炎症は全体の約15%にすぎず、ほとんどはウイルス感染症である▽抗生物質を使用する場合、簡易検査などで溶連菌が検出されたケースに限定する。
同県久留米市の「はる こどもクリニック」では受付に張り紙をしている。「困った問題なんです…『薬剤耐性菌』」。風邪の治療に抗生物質を使わないことに対する保護者の理解を求めている。
江口春彦院長は「風邪薬といって抗生物質を出す時代は終わったと思います。耐性菌を意識した適切な使用方法を考えていかなければ、耐性菌がまん延し、結局は自分たちの首を絞めることになりかねません」と訴えかける。




