
「ひと息の村に移ってから、表情がとても穏やかになったんです。それまでは写真なんて考えもしなかったのに、撮ろう撮ろうとなって…」
亡くなった村田俊子さんの長女で北九州市に暮らす井田訓子(くにこ)さん(53)は、ふり返る。
ひと息の村は、JR行橋駅近くの住宅街にある3階建て。村田さんが大分市の病院を退院して入居したのは2月下旬だった。
住民は、村から300メートルほど離れた診療所から矢津剛(つよし)医師(51)に診てもらうことができる。すでに話すことができなくなっていた村田さんと矢津医師が文字盤を使って最初にした約束。それが「必要以上の延命はしない」だった。
2006年秋に、耳鳴りと頭痛という形で現れた症状は、つるべ落としのように進んだ。翌春には食べ物が飲み込めなくなり、話ができなくなった。2年後には右手が動かなくなり、転ぶと起き上がれなくなった。
それでも村田さんは胃に栄養を直接入れるための穴をつくり、体操をし、人形を作り、編み物をし、庭の水やりをした。昨年9月には末期がんの夫を見送り、ぎりぎりまで自分の生活を続けた。
一方、大分県立病院の主治医に再三ぶつけたのは「私はこれからどうなるの」という問いだった。いずれは寝たきりになり、気管を切開して人工呼吸器を着けなければ生きていけなくなる。だがいったん装着すれば、死ぬまで取り外すことは難しい。医師が殺人罪などに問われる恐れがあるからだ。
「ベッドの上で、目だけ開けて生き永らえたくはない」。人工呼吸器は絶対に嫌だと、家族や医師に繰り返した。
ところが1月、入院先の病院で呼吸困難になり、装着された。自発呼吸を助ける目的での穏やかなレベル設定だったが、村田さんのショックは大きかった。
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体と心の痛みを取り除くホスピス医療。法律は、男性の2人に1人、女性の3人に1人が患うとされるがんと、エイズ(後天性免疫不全症候群)の患者のみを対象にしている。
だが矢津医師は、残りの人にも目を向ける。「その人その人なりの意思を尊重し、ケアをする。それがホスピスです」。死を看取(みと)るだけでなく、できるだけの延命治療を望む人には、その希望をかなえる助けをする。
村田さんには、筋肉のまひに伴う体の痛みも強かった。快活な村田さんが自分らしく過ごせるよう、鎮痛薬や精神安定剤などで和らげた。
ひと息の村の1階には訪問看護ステーションやヘルパーステーションなどが入り、11部屋あるアパートは2階である。
見晴らしのいい部屋に村田さんは手製の人形を飾り、訪れる看護師やヘルパーとの交流を楽しんだ。音楽療法士の米倉裕子さん(43)には眠る前に好きなポール・モーリアなどをキーボードで弾いてもらったり、おしゃべりしたり。
4月初めには、近くの河畔で桜をめでた。「来年も見られるようにする?」。孫の井田奈那さん(27)たちが話し掛けると「結構よ」と笑って手を振った。
人工呼吸器は村田さんと家族の意思で、呼吸を助ける程度のレベル設定から上げることはしなかった。20日ごろ、自発呼吸ができなくなって昏睡(こんすい)状態になり、そのまま亡くなった。家族の手元に、たくさんの笑顔の写真を残して。
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尊厳ある死やホスピス医療は、実は家族を支援することでもある。
「自宅のように過ごさせたい、と言っても病院では限界がある。一方、看護師がいつも近くにいる病院から、いきなり連れて帰るのは不安。自宅に近い環境で、医療のサポートも受けられる。その両方のニーズを満たせる場所に」。在宅医療に力を入れてきた矢津医師は、ひと息の村をつくった理由をこう話す。
入居中に医師、看護師、ヘルパーの訪問を受け、家族には自宅でみる自信を付けてもらう。村田さんのように望む死をかなえるために入居する人も、一度自宅に帰り、新たな気持ちで再び入居する人もいる。
病院でも自宅でもない新しい形の“村”は、開設から4年目の夏を迎える。
【写真説明】「ひと息の村に移った後は、穏やかでとってもいい表情になったんです」とふり返る井田訓子さんと奈那さん。村田俊子さんは笑顔の写真をたくさん残して亡くなった=北九州市小倉北区
=2009/06/08付 西日本新聞朝刊=





