今月10日。真っ赤なカーネーションが飾られた和室で牧井トラさん(83)は、目を開いたまま深い眠りにあった。血圧は60余り。昏睡(こんすい)状態という。
「もう痛みも苦しみも感じておられないと思います。恐らく今晩か、日が暮れるころか…。(そばに)皆さんそろわれたら、喜ばれるでしょう」
武富医師の説明に、長男の忠さん(56)が「本当の『母の日』になったなあ」とつぶやいた。夫の岩根さん(83)の目に涙がにじんだ。
トラさんが高熱で入退院を繰り返すようになったのは昨秋だった。胆管がん。入院すると慣れない環境に混乱し、家に戻ると落ち着く。がんの治癒は望めなかった。家族は在宅療養を決めた。
武富医師のクリニックに近い忠さんのマンションにベッドを入れ、2月半ばに退院。訪問診療を受け、4月末には家で看取(みと)ろうと話し合った。
忠さんの妻恵子さん(59)は「夜中に診てくださったこともある。不安が消え、次第に感謝の念が増しました」と話す。長女、孫娘、姉妹…にぎやかな日も多かった。
この「母の日」の昼下がり、トラさんは亡くなった。
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かつて家で死ぬことは当たり前の光景だった。だが核家族化が進み、1973年には老人医療費が無料となって、77年には病院死が自宅死を上回る。2007年の人口動態統計によると82.0%の人が医療機関で最期を迎え、自宅で息を引き取ったのは12.3%だった。
こうした中、生活の質を重視する考え方が広がり、本人や家族が望めば最期まで自宅で過ごすことができる社会にしようと、06年には「在宅療養支援診療所」という制度ができた。「在宅ホスピス」を推進する態勢を国が整えたといえる。
入院を減らし、医療費を抑える狙いもある。しかしこの制度によって、地域の診療所が、訪問看護師などと連携して24時間患者を診る体制を整えた場合、手厚い診療報酬が支払われるようになった。
「診察室に座っていても患者さんのことは分からない。飛び込めば百聞は一見にしかず、です」
自治医科大出身の武富医師は3年間、長崎・対馬に勤務した。へき地の診療所を巡回し、往診もこなす。患者の生活も家族もすべて分かったうえで行う医療の魅力。99年4月、訪問診療専門として開業し、後に制度が追いついた。
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都市部の「在宅」は多様化している。高級マンションで寝たきりの女性、ケアハウスで老後を過ごす人、身を寄せ合って小さなアパートに住む夫婦…。ドアの内にはそれぞれ異なる老いと病がある。
しかし、支える仕組みは万全とはいえない。例えばグループホームで暮らす認知症のお年寄り。体調を崩しても、すぐに診てくれる医療機関は決して多くない。一方、たんの吸引などの医療行為は介護職には認められておらず、常時必要になれば入院するしかない。
博多区にあるグループホームの施設長白濱多恵子さん(34)は「武富先生のような医療の助けがあれば、ご本人が希望する暮らしを支えられるし、看取りも難しくはない」と話す。
だが、訪問診療に取り組む医師もまだ少ない。武富医師に同行した日、診たのは30人近く。急な往診も入り、夜まで駆け回った。休日も診療かばんを持ち歩いている。
がんの多くは激しい痛みを伴う。死に直面した心身の痛みを和らげる緩和ケア(ホスピス医療)を尽くし、危ない状態になれば毎日出向く。毎週だれかを看取っている。
牧井トラさんの場合、強い痛みはみられなかった。しかし亡くなる一週間前、激しく混乱し、家族は動揺した。
「緩和ケアは家族のためでもあるのではないでしょうか」。忠さんの言葉に武富医師は感じ入ったという。
【写真説明】武富賢治医師の診察を受ける牧井トラさん。それを見守る夫の岩根さん。トラさんは間もなく息を引き取った=10日午後1時ごろ、福岡市中央区
=2009/05/18付 西日本新聞朝刊=




