
長野県北部の須坂(すざか)市は人口約5万3千人。リンゴや巨峰が特産の農村地帯だ。長野では、民生委員の“健康版”ともいうべき「保健補導員」という制度があり、須坂はその発祥の地として知られる。
1月21日。田んぼの中にたつ井上地区の公民館には30―60代の女性25人ほどが集まっていた。
「ドはドーナツのド、レはレモンのレ」とドレミの歌に合わせて、畳の上で激しく体を揺すりダンスをしている。窓の外は雪なのに、額には汗がにじんでいる。
リンゴを思わせる真っ赤なジャケットをまとったこの女性たちが、保健補導員だった。「補導」というと青少年を指導するみたいだが、地域住民の健康増進のために率先して体を動かす役回りだという。自治会から世帯持ち回りで選出され、市内で約280人が活躍している。
2年間の任期満了が近づいたことから、ダンスに続き、活動を振り返る発表会があった。

発表を聞くと、その活動の幅広さが分かった。ダンスやウオーキングのほか、月1回の集まりでは生活習慣病やたばこの害について学ぶ講義を受ける。地域の健康イベントの企画を練り、積極的に参加する。「メタボ健診」といわれる特定健診、がん検診の受診券を各家庭に配るのも仕事で、多い人は100世帯近くを受け持つという。
神田小千代さん(67)は、担当の約60世帯を訪問して受診券を手渡す作業がつらかった。不在の家には何度も足を運んだという。でも「直接会って話ができたり、健診に来てくれたりしたときは本当に喜んだね」と振り返った。ご近所さんが呼びかけるからか、全国の多くの自治体で特定健診受診率が伸び悩むなか、須坂市は40%を超えている。
市健康づくり課の青木信一郎課長は「2年間の活動が健康を学ぶ“短期大学”ともいえ、それが市民の健康意識の高さにつながっています」と語る。
須坂市で補導員の活動がスタートしたのは、太平洋戦争中の1944年ごろ。無医村で働き始めた保健師が、赤ちゃんの健診などを手伝う主婦の組織をつくったのが始まりだという。それから県全域に広がった。
現在の補導員は県全体で約1万2千人。自治体により任期は1―4年と異なるが、住民が順番に任命されるため、経験者は増え続けている。
信州は姥捨山(うばすてやま)伝説の古里でもある。そうした歴史もあってか、ある医師は「お年寄りを中心に医者にかかるのを嫌がる県民性があったのです」と話す。ならば病気にかかりにくくしなければと、予防に力を入れるようになったという。
その一つが1960年ごろから取り組んだ減塩運動。塩分をとりすぎると高血圧につながり、脳卒中などの危険を高める。この運動にも補導員は参画している。
例えば八ヶ岳のふもと茅野(ちの)市の補導員は、決められた日の塩分摂取量を自ら調べる。ある地区では、目標を1日10グラムとしていたが、平均で12・5グラムとオーバーしてしまった。原満貴さん(44)は「子どもも濃い味が好きで、目標は達成できませんでした。でも10グラムを目指しておれば、次第に減塩に慣れてくるのかもしれません」と語った。
補導員が考案した減塩食のレシピを、地域の文化祭や会合で紹介することもあるという。こうした地道な取り組みが、生活習慣病への危機意識を浸透させてきたのかもしれない。
健康に気をつけていても、病気になることはある。茅野市で、がん検診を熱心に呼び掛けていた補導員の女性が胃がんで亡くなった。自らも検診を受けていたのに、腫瘍(しゅよう)が発見されなかった。他の補導員から「なぜ…」と疑問の声が上がった。30年ほど前のことだ。
それから茅野市では、補導員の発案で「命」について考える学習会をもつようになった。自殺、終末期医療、子どもとの死別などテーマは広く、年に1回、意見を交わす。学習会が発展して尊厳死について考えるグループもでき、会員は千人を超すという。
健康づくりのモデルの一つとして長野の補導員を研究する慶応大大学院政策・メディア研究科の今村晴彦研究員は「補導員は、ただ長寿に貢献してきただけではありません」と評価する。
【写真説明1】主な都道府県の老人医療費と平均寿命
【写真説明2】健康づくりはダンスから。音楽に合わせて体を動かす保健補導員たち=1月21日、長野県須坂市の井上地区公民館
=2010/02/01付 西日本新聞朝刊=




