「原食堂」 心を込め熱々うどん
かけうどんは一杯二百五十円。開店以来三十八年間変わらないのは味と価格、メニューだけではない。
客が座れば、うまいうどんをさっと出す-。「原食堂」の原勇吉さん(77)の信条も、うどんと同じく熱々のままだ。
原さんは元西鉄電車の運転士。十九歳で就職し北九州市で乗務していた。妻弘子さん(72)の古里である八女市に転居してからは、当時久留米-八女間を結んだ福島線に乗務。退職後の一九七一年に、妻の実家の果物店を継ぎ、食堂も併設した。
そのころ土橋地区は最もにぎわっていた。周辺の林業は好景気にわき、「ミカン天国、ミカン御殿」と呼ばれるほど潤ったミカン農家らが毎週のように飲み歩き、最後は原さんの食堂に寄ってうどんをすすった。土橋で一箱ミカンを売れば、その代金で飲める時代だったという。
夜は羽振りのいい客のおかげで、昼は食堂近くの待合所でバスを待つ会社員や学生らで店は繁盛した。食事をとる暇もないほど原さんは毎日、沸騰した大鍋の前で汗だくでめんをゆでた。一日に用意した約百食のめんが夜を待たず、売り切れることもあった。
しかし昭和五十年代に入り客足が落ち始めた。林業やミカン栽培の好況は長く続かず、若者を中心に人口流出が続く。近くの繁華街も寂れ、自家用車の普及でバスの利用者もめっきり減った。
十数年前までは、土橋で夏に「土橋夜市」があった。親子連れが浴衣姿でカラコロと、げた履きで店を訪れたのも懐かしい思い出だ。
でも、原さんは寂しいとか不安だとは言わない。「ときどき同年代の常連客が『まだ店やってんの』とやって来たり、近所の方がおすそ分けがてら顔を見にくるんです」
「街が寂れても人情は変わらず温かい。土橋を愛する人たちがいる限り大丈夫ですよ」
そんな原さんが手渡す一杯のうどんは、客への感謝と土橋への愛着に満ちている。
20080516朝刊掲載



