犬のしつけと動物行動学の基礎
東京大学総合研究博物館長 林良博
1.犬のしつけのもとになる家畜の飼育管理の方法は,欧米では動物との長い歴史から開発されてきましたが,日本では歴史が短く,苦手なようです。現在では訓練(職業犬)や調教(競走馬)は専門家によるしかないし,犬に対する「しつけ」も,訓練士により専門的に訓練した場合でも,家庭内で日常的に意識的な訓練管理をしないと元に戻りやすいのが問題です。
2.動物の行動を大まかに分けると維持行動,社会行動,生殖行動,異常行動がとりあげられます。維持行動とは食事の摂取,睡眠休憩,場所を決めた排泄,痛いところを触れられたくない危険からの護身,グルーミングと身繕いによる親和行動,猫じゃらしなど個人的遊戯などがあります。社会行動とは,群れを成す動物の社会空間と探査,敵対したときの尾下げ(服従)行動,親和行動,社会的遊戯などです。また,生殖行動には発情時期に雄が喧嘩する性行動が問題です。異常行動の中の葛藤行動には,飼い主に厳しく叱られると悪さをする転位行動や転嫁行動,強いストレスで身動きできなくなる真空行動と,常同行動といって常に身体の一部を舐め続けて皮膚炎が起こる自傷行為や反応異常などがあります。
3.動物の行動の基本になる動物の感覚機能の理解も必要です。犬の聴覚はヒトより高い音(周波数)に敏感で,犬が吠えるときはヒトには聞こえない高い周波数に反応している場合があります。ヒトは視覚による生存戦略を選択したが,動物の多くは嗅覚による基本戦略に依存しています。ヒトで退化した発情期の臭いに動物は敏感です。また密飼いによる高濃度のアンモニア臭は動物にストレスを与えることがよく知られています。
4.動物の訓練の適合性を考えるとき,犬が訓練に適する理由は本来群れ生活者で,仲間とコミュニケーションができて,リーダーに従う性質があります。肉が好きな雑食者で排泄量が少なく場所をわきまえるということが言われております。一方猫が訓練に適さない理由は単独生活者で自由気まま,優れたハンターで遊びながら狩りを覚えるという性質がもとになっています。
5.犬のしつけに反映される動物行動学としては,犬に残るオオカミの性質で排便・排泄は巣穴の外で行う意識を持たせることが排便・排泄のしつけの成功につながります。古典的条件付けとして匂いで排泄場所を条件付けることができます。一方本能的な条件付けでなく,オペラント条件付けというのですが,褒められることで学習していく方法も普及しています。褒めることを繰り返すことでしつけと管理が「強化」できます。逆に悪い癖は「消去」することもあります。
6.来客があると吠えるので,その度に叱ると「かまってくれた」と勘違いしてますます吠えるようになる。このように無意識に与えた悪いごほうびということもあります。
7.悪い癖をいかに直すかが問題ですが,対処法として悪いことをしたその瞬間に犬の気をそらすよう工夫したり,無視したり,水鉄砲で水をかける天罰を与える方法などがあります。アルファ症候群(権勢症候群)または支配性攻撃行動とも呼ばれものは,その群れの中で自分をボスと思っている犬の行動や分離不安,不適切な排泄などのことです。その問題行動を理解すれば対処することが可能です。
8.最近になってこれまで研究者も気づかなかった犬の「カーミングシグナル」ということが分かってきました。それは,強く叱られると鼻を舐めたり,歯をガチガチならすのは自分を落ち着かせるための行動であったり,あるいは相手をなだめるために行っていることが分かってきたのです。私の犬のことは何でも判るようで,まだまだ分かっていないことも多いのです。(東京大学総合研究博物館長 林良博)

●プロフィール
▼はやしよしひろ 1969年東京大学農学部畜産獣医学科卒業。獣医師。博士(農学)。東京大学医科学研究所助教授、農学部教授、副学長を経て、大学院農学生命科学研究科教授に復職。
情報提供:福岡動物病院看護士学院



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